ありのままの自分でいい!個性が美しさになると知った経験。

ありのままの自分でいい!個性が美しさになると知った経験。

私はいつも、完璧な美人が好きだった。
誰もが綺麗、可愛いというような女優さんやモデルさんに憧れていた。

いつも、そんな風になれたらいいなと願っていたんです。

朝起きたら超美人になっていて・・・。なんて想像したことは何度もあります。

子供時代の自分の容姿よりも、今のほうが好きだと思えるようになったけれど
それでも、街を歩けばかわいい子なんていっぱいいるんです。
SNSだって、可愛い芸能人の写真でいっぱいです。

自分の容姿への劣等感はなかなか消えることはありませんでした。

一番大好きな旦那さんも、私の顔が一番ではないんです。
外国人顔が好きで、私の顔はそもそも好みとは違う路線みたいです。

スッピンのときは、ほとんど「可愛いね」とは言われないし
メイクがうまくいったときは「いいね。可愛いよ」と、褒めてくれることがあります。

それでも、私は大好きな旦那さんにとって丸ごと可愛い存在になることはできないのか、と
切ない気持ちになります。

満たされない気持ちが心にあふれているのかもしれません。

大好きな人に「可愛い」「綺麗」と言われたい。
ほとんどの女性が抱いている気持ちだと思います。

彼のために彼の好みに合わせよう・・・なんて思ったりして。

私はずっとそんな気持ちだった。


そんな気持ちが変わるきっかけがありました。

ある男性(SNSで活躍?)がブログに自分が撮った彼女の写真を載せていて
「可愛い」「美しい」といつも言っているのです。

その彼女は女の私から見たら、完璧に美人ではありませんでした。
(ここで定義する完璧とは、個性というよりも造形が美しいということ)

メイクはナチュラル。表情は気怠い感じで、雰囲気は儚げだった。
なのに芯が強そうで、アンビバレンスだと思った。
長いロングの髪の毛は光が当たれば光るようなブラウンに、少し染められていて・・・
ほっそりとした顔に脂肪はあまりついていないように見えた。
骨格はしっかりしているように見えるけれど細い身体なんだとよくわかる。
儚げな女の子なのに意思の強そうな眉。目はぱっちり二重ではないのに目力が強かった。

いつの間にか、彼女に惹き込まれていた。
ずっと見ていたいと思った。ドキドキした。

彼女は「個性」が輝いていた。
欠点とも言えるようなところでさえ、私には美しく見えた。
そして、守ってあげたくなるような可愛さも感じた。

今まで、佐々木希さんのような美人になりたいと願っていたのに、
その気持ちが薄らいでいった。

私は何かになりたいの?なってどうするの?

旦那さんにも周りの人に認められたくて、もがいていた。
「可愛い」「綺麗」と思われたいと。

でもそれは私の求めていたことではないのだと分かりました。

私は、「私」として、「私」を好きになりたかったのだと思った。

この男性は「可愛い」「美しい」と、彼女に心底惚れている。
言葉にし、行動もして、彼女を見つめている。

私は旦那さんや周りに、それを求めていたのだと思う。
自分が自分を認めていないのに、私は周りにそれを求めていたのです。

「自分の欠点は認めてないけど、愛してよね!」(言葉に出していないけれど)
なんだか押しつけがましい。

無意識のうちに、自分で自分を傷つけていた。

「完璧じゃなくていいんだ。むしろ、この顔でいいんじゃない?」

彼女の写真を数枚見ていくうちに、

いつの間にか、個性が素敵なことだと思えるようになっていた。

 

私はたまたま、旦那さんの好みドストライクの顔と体形では無かったけれど
それでいいじゃん。

私が、私を生かしてあげたい。
そんな思いが湧いてきました。
私の個性を生かすことができるのは、自分自身。
自分自身で、自分のことを愛してあげたいと。
社会はそんなに優しくないんだから、自分くらい優しくしてあげなきゃ。

「個性」って素敵なことだ。
生かすも殺すも自分自身。
美しいと感じることが出来たなら、その個性は一気に輝きだす。
私が見た、その男性の彼女みたいに。

でも、完璧を求めるのも悪じゃないと思う。
完璧を求めるのが楽しい、綺麗になっていくことが最高!と気持ちよくなれるのなら
それも人生です。

私は自分の顔をどう生かしていくか、これから楽しんでいこうと思う。
メイクも、ファッションも。
美人になれない、と苦しむのはやめて、今の顔を生かして、試行錯誤して
努力して、できることは自分でやってみる。

悩んでいる時間なんてない。
楽しまないと人生ってもったいないですね。

自分の人生をマネージメントしていきましょう!

『個性』を愛すれば、心はスッと軽くなる。

それでは、また!