アル中、毒親の母と縁を切った話

アル中、毒親の母と縁を切った話

私の母は、いわゆる「アルコール中毒」で

家にいるときは、ずっと飲んでいる。

(アル中といっても、病院に行ったことはなく

私の見ている限りではアル中だと思う)

 

酒を飲んで、眠り、また目が覚めると

いつもの母に戻る。

 

人前で酒を飲むと、男好きになり

危険なので、同じ女として、母のことは嫌だなと

 

10代のころから思っていた。

 

母は、素直だけれど、気が強くて

好き嫌いがはっきりしている。

 

そしてネガティブで、

常識もあまりなく、

子供みたいなところも多くて

 

私が大人になるに従って

その母の人間性に対して、苛立つことも増え

しばしば喧嘩をしていた。

 

というか、喧嘩の原因は酒を飲み

わけのわからないことで、キレてくることがほとんどだった。

 

さっきまで、仲良く話していたのに

酒を体に入れると、もう別人だ。

言っていることが理解されないし、理解しようともしない。

 

それがほとんどの酒飲みだ。

 

父も手を焼いたし(父もたいそう酒飲みで、それも原因で癌になり亡くなったのだが)

私も疲れることが多かった。

 

父が亡くなってからも、酒飲みは止まらず。

 

ある日、私と母はついに中互いをし、

私は家を出ると決め、急遽 一年も早く

結婚をすることになり・・・

 

数か月後、家を出た。

その頃は、母と私は仲直りもしていたし

これから距離ができることによって、ほどよくいい関係になれるのではと思っていた。

 

だが、主人の優しさに触れ、毎日が幸せな日々になったことにより

 

私の今までの人生はなんだったんだろう、と思うようになってしまった。

 

母に馬鹿にされ、喧嘩をふっかけられ、相談したいときはいつも酔っぱらっていた母。

 

しょっちゅう、悔しくて辛くて泣いていた学生時代や

大人になってからも、話をしようとしても、話が通じない酔っ払いで。

 

そんな中で、生きてきたため、普通の人との日々が、「当たり前」なんだと。

愛という表現を、日常的に受けることができる日々が、あまりにも驚きで。

 

 

私にとっての結婚前の、家での日々は、なんだったんだろうか?と。

 

もちろん、素面のときは母と話すのがとても楽しかった。

私は母が好きだったから。

馬鹿にされても、母が好きだった。

 

それでも、やはり心の奥の私は傷つき、苦しんでいたんだと思う。

 

ついに酔っぱらっている母との会話は、私にとって苦行でしかなくなった。

 

たまに電話をかけてきたときに、話の要点をつかめずに

同じことを繰り返されたり、トラウマになってしまった「酔っ払いの声」を

 

聞いているだけで、叫びたくなるようになってしまった。

 

そして、「やめてよ!!!」と一度叫んだことがある。

そのあと、さすがに申し訳ないと思い、可哀そうだったと思い、

謝ったが、返信はなかった。

 

半月ほどたって、何事もなかったかのように連絡を取る。

 

母だけが原因ではないが、酔っぱらっている母と話すと

精神が不安定になるようになった。

(ひどく落ち込む、もやもやするなど)

 

ここ最近は、酔っぱらって電話がくることもなかったが、

ついに酔っぱらって電話が来た。

 

運悪く、私は料理中だった。そして、母は・・・

これから人に電話をする、という話だったのだが

私は酔っているときに電話はどうなのだろうか、

大丈夫か、などといった話をしたと思う。

 

これは、酔っていないと思い込んでいる母には

傷つく言葉だったのかもしれない。

 

私は料理しているから、と言った。

 

すぐに電話は終わった。

そのあと、母からメッセージがきていた。

私はすぐに返さなかった、そうすると一時間後に

 

「私のこと面倒くさいんだね。

私も面倒くさいよ、さよなら」と。

 

ついに、母と縁が切れた。

 

私は、正直、もう疲れていた。

 

素面の母と話したかった、愛されたかった、

そんな私は欲深いのだろうか。

 

母の根っからのネガティブさと、

考え方と、いろんな面で

 

私とは、性格が合わなかった。

 

多分、この世で仲良くなれるのは

神様のように優しかった、亡き父くらいなのだろう。

 

母は、普通の男だったら、すぐに離婚することになっていたと思う。

 

 

 

そんな気が強い母と、私・・・

 

ついに母と娘ではなくなったのだ。

 

さよならと、母に言われた。

音信不通になられるより、良かった。

 

母は、母なりの苦労があったのだろう、

母は、いろんな面で人からサポートしてもらって生きている。

 

それを、もう一度忘れないで欲しい。

(実は親類にも縁を切られているのだ。

酒のせいもあるけれど・・・複雑な理由で)

 

私も、縁は切れてしまったけれど

感謝はしている。

 

苦労かけた、分かっている。

 

ただ、今は、それを上回るほどに

過去の出来事が重すぎて、母を深く尊敬することができない自分がいる。

 

友人の結婚式に参加した時

みんながする花嫁の手紙は、

お母さんが大好き、ということや、尊敬している

ということが多かった。

 

深く深く愛を感じるものだった。

そして、愛のある微笑みを娘に。

 

私は、それがとても羨ましくて

素敵だなと思った。

 

私も花嫁の手紙では、涙を流したが、正直

そこまで、愛をこめられなかった。

 

そして、母も・・・私の花嫁姿を見ても何も言わなかったし

微笑みかけることはなかった。

 

結婚式後、私に来たメッセージは

「ママの着物姿 綺麗だった~?!」

でした。

 

私は涙が止まらなかった。

結婚式、ウェディングドレス・・・

似合うの選んだんだけど、何も・・・何も

言ってくれなかった。

 

いい結婚式だったね、って・・・

言って欲しかった。

 

私は、欲深いのか。

他人に求めすぎなのか?

 

分からない。分からないけれど、

 

やはり、子供には愛の言葉をたくさん、たくさんかけてあげたいと思う。

 

親しき中にも礼儀あり、という通り

親子でも・・・言っていいことと悪いこともある。

 

私は、子供を傷つけるようなことはしたくない。

思いっきり抱きしめ、愛している、と

伝えたい。

 

可愛いね、綺麗だね、ちゃんと伝えたい。

 

自尊心があるだけで、人は生きやすくなるのを知ったから。

 

私が結婚して、実家を出て、呪縛から解けるかと思っていたけれど

そんなことはなく、愛を知るほどに、

 

苦しいトラウマが芽を出した。

 

私は、やっと、その芽を摘もうと思った。

根っこから。

 

もう苦しまないで、と。

 

私の人生を生きて、と。

 

 

 

縁を切っても、私は母のことを心底嫌いにあることはない。

というのも、母が一生懸命なことは知っているから。

 

(・・・ただ、酒に溺れて、人の言うことを聞こうとしないのは

その人の弱さもあり、手を差し伸べても払われるなら

もう私の出る幕ではないと思う)

 

親子って、難しい。

 

そして、色んな家庭があるから

 

どんなに状況を打破する方法を知恵袋で探しても

答えは見つからなかったりするんですよね。

 

毒親持ちの方、

大変だけれど、肩の力抜いて生きましょうね。

 

 

では、また!